沿革
- 町政施行(昭和21年9月1日) 村制施行(明治41年4月1日)
- 面積 知名町(53.30ヘイホウキロメートル)、沖永良部島(93.67ヘイホウキロメートル)
町全景

知名町は、海抜245メートルの大山を中心に、その裾野に21の集落が形成されている。
主な産業は、農業で砂糖きび・花き・輸送野菜・葉たばこの栽培に畜産を組み合わせた複合経営が確立されている。
沿革
奄美史の歴史区分は、原始から8~9世紀までを「奄美世」と呼び、階級社会以前の部落共同体の時代でした。続いて按司という首長たちの支配割拠する階級社会となります。これを「按司世」と称しています。その後、琉球王朝が支配する「那覇世」、薩摩藩が支配する「大和世」と続きます。「那覇世」は文永3年から慶長14年までの340余年間で、当時、琉球は中山・北山・南山の三王朝が割拠し、本島は北山の支配下にありました。本島に伝承されている文化・言語・風俗などは、その当時に起因しています。
慶長14年、薩摩藩の琉球侵略の結果、本島も薩摩藩直属領になり、元和2年には徳之島に代官が置かれ、本島と与論島を巡回して統治。元禄3年徳之島代官の行政を離れ、沖永良部島に代官所を設置。明治2年には代官所を在藩所と改め、明治4年の廃藩置県に伴い沖永良部支庁となりました。
明治12年には戸長役場が設置され、21年に知名村役場が置かれ、明治41年には島嶼町村制が実施され、本島は知名村と和泊村に区分されました。そして、大正9年普通町村制としての知名村となり、村長は住民の公選となりました。
昭和16年12月第二次世界大戦勃発、昭和20年8月に終結したものの、昭和21年2.2宣言により、本島は同年3月から祖国日本から行政分離されアメリカ合衆国の統治下となり、米軍統制下で昭和21年9月に町制が施行されました。
昭和28年12月25日ダレス声明により祖国復帰し、日本国民として再出発。翌29年に奄美群島復興特別措置法が公布され、昭和38年度まで公共土木事業を中心とする復興事業が推進され、昭和39年度から昭和48年度までの振興事業では産業基盤整備が推進され、昭和49年度から平成10年度までの振興開発事業による社会基盤の整備が図られ、本町の基盤が築かれました。平成15年度まで特別措置法の延長がされたことから、効率的な活用を図りながら総合的な整備に取り組み「豊かで、明るく、住みよい町づくり」を推進します。
知名町の位置
知名町役場の地図(GoogleMapのサイト)(外部サイトへリンク)
町章

「知名」の文字と伝統あるエラブユリの花を図案化。
(昭和31年6月23日制定、令和6年2月改定)
町木

ガジュマル
(昭和57年2月11日制定)
町花

ハイビスカス
(昭和57年2月11日制定)
町歌
作詞 吉沢 亮、作曲 赤地 信
- 南の風の 吹く処 みどり色濃き 大山の 揺るがぬ姿 仰ぎつつ 起(た)たん知名町 同胞(はらから)よ
- 白浜港に波すさび 暗川(くらご)の水 冷ゆる時 遠き祖先(みおや)の 拓(ひら)きたる 豊(ゆた)けき幸(さち)を 思うかな
- 祖先(みおや)の偉業 受けつぎて 振興の意気 燃えてたつ 我等知名町 諸共(もろとも)に 永久(とわ)の栄を 祈(いの)らばや
(昭和38年1月制定)
フローラルロゴ

フローラルロゴは、1.花(FLOWER)、2.ゆとりと憩い(Resort)、3.ふれあい(Ageless Community)、4.珊瑚(Coral)、5.住まい(Life)という計画の目標と、町の誇れる自然や資源を大切にしたいという要素(キーワード)からなっています。
- 花を生かした魅力と個性あるまちづくり
(地域資源の活用…花、珊瑚、自然など) - 生涯学習を通じたふれあい豊かな生きがいのある住まいづくり
(健康で楽しい生活の営みとこれを支える住環境の整備) - ゆとりと憩いを感じるまちづくり
(ゆとりと憩いのある生活)
の3つを揚げています。
アクセス
交通機関
集落紹介
- 知名(ちな)
- 徳時(とくどき)
- 田皆(たみな)
- 新城(しんじょう)
- 竿津(さおづ)
- 下平川(しもひらかわ)
- 黒貫(くろぬき)
- 屋子母(やこも)
- 住吉(すみよし)
- 下城(しもじろ)
- 久志検(ぐしけん)
- 余多(あまた)
- 屋者(やじゃ)
- 瀬利覚(せりかく)
- 大津勘(おおつかん)
- 正名(まさな)
- 上城(かみしろ)
- 赤嶺(あかみね)
- 上平川(かみひらかわ)
- 芦清良(あしきようら)
- 小米(こごめ)