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update:2019年1月7日
子育ては島で、仕事は東京で。
理想のワークライフバランスを実現させています!
勘里 洋介さん
2018年・東京都から移住
昭和58年生まれ、大阪府出身。妻の第3子妊娠をきっかけに、家族で父親の出身地である知名町に移住。
2011年、東日本大震災のボランティア活動の一環でオクトーバーフェスト(ドイツ発祥のビール祭り)に出合い、その魅力にとりつかれてドイツビール販売業をスタート。現在は、主に首都圏で開催されるオクトーバーフェストに出店するため、東京と沖永良部島を行き来する生活を送っている。
移住する前は東京の目黒区に住んでいました。東京での生活は忙しく、仕事のため朝早く家を出て、日付が変わってから帰宅することもしばしば。私も妻も関西出身で近くに頼れる親や親戚がおらず、妻はいわゆる“ワンオペ”で子どもの面倒を見てくれていました。長女が3歳になる前の6月頃、幼稚園入園のための説明会がありました。東京では入園の10ヶ月も前から説明会に参加しなければならないのです。しかも10~20カ所の幼稚園を回ると聞き、正直違和感を覚えました。ずっとここで子育てをしていけるのだろうか…と。そんな折、第3子の妊娠が発覚したのです。
家族で初めて沖永良部島に来たのは移住する約一年前でした。父が定年退職を機に故郷である知名町に戻って来ていて、孫たちを連れて父のもとを訪ねました。かねてから東京以外の場所への移住を検討していた私と妻にとっては、密かに“視察”を兼ねた沖永良部旅行でした。
たった2泊の慌ただしい訪問でしたが、父が島の親戚を集めて私たちのために宴会を開いてくれました。妻は、そのときの親戚の人たちの明るい笑顔がとても印象的で忘れられなかったようです。温かなもてなしと、ありのままの自然にふれて、いつかはここに暮らしたいと思うようになりました。
それまで、実家がある関西への引っ越しを検討したことはあったのですが、その想像は東京での暮らしと大きくは変わらないものでした。確かに親は近くにいるけれど、実家だけに依存するのはちょっと違う。一方で、島には親戚がたくさんいて、気取らない人付き合いがあって、自然が近くにあるだけでも精神的なストレスが軽減されると感じました。そこへ妻の第3子妊娠が決定打となり、沖永良部島への移住を決意したのです。
移住すると決めてから、すぐに家探しが始まりました。ネットに出ている空き家情報を見たのですが件数が少なく、父と、地域おこし協力隊として一年前から島に赴任していた従妹に協力を仰ぎました。そうしたところ、従妹がたまたまこの家で大工さんが作業しているところに通りがかり、空き家になることが分かったのです。実は従妹が問合せてくれた時点で大家さんの親戚が入居することがほぼ決まっていたのですが、「若い家族が知名町に移住して来てくれるのであれば」という大家さんのご厚意で、ここを借りられることになりました。
広々とした平屋建てで、緑あふれる庭まで付いたこの家を、妻も子どもたちもとても気に入っています。東京のマンションは仕事道具と生活用品が混在し、家の中でも子どもを入れられないエリアがあったりしたのですが、今は子どもたちが家じゅうを走り回っています。外へ出ても、忙しく車が往来する東京とは違い、ここでは子どもの手を放して歩けますし、公園のブランコの順番待ちなんてほぼないですから(笑)。島に来てから子どもたちの表情がすごく生き生きとしていて、引っ越して来て本当によかったなと思っています。
移住すると決めたときからドイツビール販売の仕事は続けていくつもりでいました。短期のイベントをメインとした仕事なので、現場にさえ行ければその準備はどこにいてもできるなと。むしろ島に来て、必要な情報が精査できてよかったと感じています。東京にいたときは付き合いで飲み会に行ったりイベントに行ったり、仕事以外のことにも時間を割かれて家族との時間がなかなか持てなかった。それが今は島にいるときは家族、東京にいるときは仕事、ときっぱり分けられていて上手くバランスが取れています。島にいたってネットさえあれば情報は入りますから、本当に必要な情報だけを選んで取りに行けばいいと思っています。買い物もネットでできちゃうので不便はありません。島にいると着飾る必要もないので、むしろ余計な買い物が減ったと妻は喜んでいます。
沖永良部島でも大きなイベントなどの機会にドイツビールを販売させてもらっています。島の人はお酒好きな人が多いですし、みんなドイツビールが珍しいと喜んでくれています。また、東京の知人から離島ならではのビジネスのアイデアをもらうこともあり、奄美群島や沖縄を拠点として何か面白いことができないかなと模索しています。
島に滞在している期間中は、知り合いの花農家のお手伝いもしています。農業は35歳にして初体験の連続で、とても刺激的ですし勉強になります。例えば、畑にはコオロギがたくさんいるんですけど、耕運機で土を耕すたびにコオロギが死んでいくんです。当たり前のことですが、自然の中に入っていくということは生き物の生死が関わっていることなんだと肌で感じて、改めて自分の食事を見直すきっかけにもなっています。
一緒に畑仕事をしているおばあちゃんたちとの会話も楽しみの一つです。おばあちゃんたちは毎日必ずみんなでシェアできるおやつを持って来ていて、休憩時間にそれを食べながら島の伝統文化やおやつの作り方などを教えてもらっています。偶然家の前を通りがかっただけでも必ずお菓子やドリングが出てきますから、この「与える精神」ってすごく島らしいと感じます。それがコミュニケーションのきっかけにもなっているし、そもそもみなさん人に興味があるんでしょうね。「どこの誰?誰の親戚?誰の同級生?」と繋がりを見つけ出すのも上手です(笑)。
遠い将来のことはまだ分かりませんが、当面はこの島で、親戚や島の人たちと協力しながら暮らしていけたらと思っています。妻や子どもたちも本当にここが気に入っています。気に入りすぎて2月に産まれた三女の名前は、「知名」と「沖永良部」から一文字ずつ取って「知永(ちえ)」になりましたから(笑)。
(2019年4月取材)
移住までの道のり
島暮らしの“困りごと”
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