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update:2019年1月7日
人との出会いに恵まれ、幼い頃の夢を実現できました!
久保 朋寛さん
2013年・鹿児島県から移住
鹿児島県いちき串木野市出身。知名町役場職員。仕事中はとても真面目だが、普段はユーモアたっぷりの楽しい性格。
島内一周駅伝などの地域のイベントに積極的に参加したり、島でできた友人と奄美大島に旅行に行くなど、すっかり“地元の人”として島ライフをアクティブに楽しんでいる。
南国に住みたいと思ったきっかけは、小学生の頃に行った沖縄旅行でした。とても楽しくて、その時に初めて「将来は南国で暮らしたい」と思いました。時間が経ち沖縄熱はいつの間にか冷めていたのですが、高校3年生の時、沖縄を舞台にしたドラマを観て再び「沖縄に住みたい!」と思い、沖縄の大学に進学することを決めました。在学中は毎日がとても楽しくて、遊び過ぎてしまうことに漠然とした不安を感じ、卒業後は鹿児島に戻り就職しました。しかし「将来は南国で暮らしたい」という幼い頃抱いた想いは消えず、前職を退職していたことを契機に「行くなら今しかない!」と移住を決意しました。
大学の頃の経験から、生活するなら沖縄ほど都会ではない場所がいいと思っていました。かといって、船が週に一便しかないような不便なところは困るなと…。たまたま知名町出身の友人(Kさん)がいたので知名町について話を聞き、「暮らしやすそう」「思い描いていた南国での生活が送れそう」だと感じました。
移住するにあたって、ずっと暮らすのであれば定年まで働くことができる仕事に就きたいと思い、知名町役場の採用試験に挑戦しました。受験で知名町を訪れた際に、Kさんが実家に連絡をしてくれて、ご家族が私を食事に誘ってくれました。ちょうど台風が近づいていて帰りの船が欠航になってしまった私に、Kさんのご家族は「急ぐ用事がなければ部屋も空いているしゆっくりしていきなさい。」と言ってくださって、しばらく滞在することになりました。お世話になりっぱなしでは申し訳ないので、滞在中、Kさんの親戚の農家を手伝わせていただきました。人生初の農作業はしんどいこともありましたが、楽しくて良い経験になりました。また、夜はKさんのお兄さんが誘ってくださり、字の青年団活動や宴会に参加しました。みなさん私のことを優しく気にかけてくださって、この一週間の滞在で改めて「ここに住みたい!ここに住もう!」と思いました。鹿児島に戻ってからは合否が分かるまで祈るような思いで毎日過ごしていたので、合格通知が届いたときは本当にうれしかったです。
家探しはかなり苦労しました。インターネットで検索してもほとんどヒットしなかったため、建設会社に直接問合せましたが、どこも空きがない状況でした。友人のKさんにも力を借りて、何とか家を借りることができました。ここでは町内に知人のいない人が家を探すとなると大変です。定住促進住宅等の移住支援で、状況が少しずつ改善していけばいいなと思います。
移住当初は、お酒の席や冠婚葬祭での慣習の違いに驚くことが多く、特に飲み会の多さにはびっくりしました。「新しい机が届いた」という理由で飲み会が開かれたときは冗談かと思いました(笑)。少しでもグラスが空くとすぐにお酒をつがれること、結婚式の司会を新郎の友人が務めること、地域の若者がお酒を配ること、お葬式の後に行われる「いみはり」という宴会、集落ごとに祝儀や香典の金額がきまっていることなど、驚きの連続でした。しかしそういったことにも少しずつ慣れ、最近はお酒の席で聴く三線の演奏や島唄が楽しみです。
以前の生活に比べて飲み会やイベントへの参加が増えました。職場の先輩や地域の方々、近所の商店のおじさんまで、とにかく人とコミュニケーションをとる機会が増え、豊かな人間関係を築けていると感じます。島でできた友人は行事や飲み会に誘ってくれて、昔からの友人のように接してくれます。地域の方々は、私のことを本当によく気にかけてくださいます。移住にあたってお世話になったKさんの家族や親戚は、今でも食事に誘ってくださったり、夕飯のおかずを分けてくださったり、花やジャガイモを私の名前で私の実家に送ってくれることもあります。近所の商店のおじさんとの会話は日常のちょっとした癒しになっています。こうした島の人とのコミュニケーションがとても楽しくて、皆さんの優しさが本当にありがたいと感じているので、私も農作業のお手伝いなどで少しでも皆さんが喜んでくれることをしていきたいと思っています。
(2013年取材)
移住までの道のり
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